可算化されていく英語

       

複数にならない名詞って何のこと?

  中学で英語を習い始めるときに学ぶ新しい概念に、「名詞の可算・不可算名詞」というものがあります。とまどった方も多いのではないでしょうか。何しろ、ものが数えられる、数えられないという考え方は日本語ではしないので。それどころか、そもそも日本語ではあまり数を意識しない、とも言えます。

 

可算・不可算は理屈じゃない

  英語の可算・不可算というのは基本的に慣習にもとづくルールです。ですので、初めて習った中学生のときにはなかなか不条理だなと思うものもありました。

 

  「液体は数えられないが、グラスに注いだら一杯、二杯と数えられる」。ふむふむ。これは何となく分かる。切れ目がないものは数えられない、ということかな。「空気は数えられない」。うんうん。「魚は数えられない」。え?「牛は数えられない」。なぜ?

 

  理屈ははっきりとは分からないけれども、文化の違いがあるのだろうな、と面白く感じたことを覚えています。

 

変わりゆくのが言葉の習い

  言語は生き物です。常に変化しています。言葉の乱れを嘆く人はいますが、言葉は変わっていくものなのです。ですから、「若者言葉はけしからん」と怒ってみても、流れに掉さすようなものです。

 

「え、あなた不可算だったでしょ?」

  翻訳の仕事をするようになってから気になっている変化が、この「可算・不可算」です。もとは不可算名詞だったものが、数えられるようになるケースが増えているように感じます。

 

可算化が起こるわけは?

  日常的にある概念をあつかっていると、そのうちに身近に感じられ、実体を持つものと変わらなくなっていくのではないでしょうか。たとえば、環境の分野では、もともと不可算名詞だったenergy(エネルギー)も、エネルギーの種類を数えるときにはenergiesと複数形になります。Renewablesなどはそもそも形容詞だったのが名詞化してさらに可算化した、という忙しいケースです。大人気だとこういう風に品詞の変化が起こりやすいのでしょう。

 

  とはいっても、言語学を専門としているわけでもない、ただの素人考えなのですが。あくまで憶測にすぎません。

 

分かりやすい世界へ

  学者ではないからこそ、無責任に持論をさらに広げてみましょう。

 

  どうして可算化は進んでいるのでしょうか。頭の中だけで考えるよりも、物を手に取って考える方が分かりやすい。概念を使って思考するよりも、具体的なもので考える方が楽です。もしかして、英語では概念による思考が好まれなくなってきているのでしょうか。

 

  全体的に、米国英語が主流となったこの時代、英語はどんどん分かりやすいものに変わりつつあります。1文は短く、構文はシンプルに、単語はやさしいものが選ばれるようになっています。名詞の可算化もその流れのひとつ、ということでしょうか。