プロフィール

 子供の頃から本の虫でした。 古今東西の名作をお手頃価格で読ませてくれる岩波文庫は宝の山。ボーヴォワールの『人はすべて死す』やモラーヴィアの『無関心な人々』から曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』まで、夢中になって読みあさりました。
 違う時代に生まれても、違う国に生まれても、違う言語を話しても、遠く離れた誰かのことを知ることができる――それを可能にするのが翻訳です。

岩木貴子

     人の心はオブラートに包まれたゼリー状の液体のようなもので、薄い膜のせいで混じり合うことはありません。でも針でつつけば混じり合う。その小さな穴を開けてくれる針が翻訳だと思いました。
 自分が一人ではなくなる瞬間をくれるのが、私にとっての翻訳でした。

    それで、中学2年生のときに翻訳家になりたいと思い立ちました。
大学では英文学を専攻。翻訳家になるためには勉強が足りないと思い、卒業後に英語文学の本場、アイルランドのダブリン大学に留学しました。
4年間、英文学漬けの毎日で、今度こそ胸をはって勉強したと言えると思いました。
 帰国すると、いざ翻訳家デビューと意気込んで翻訳オーディションを受けました。 それが目論見はあえなく大外れ。文学は学んだものの、翻訳技術は学んでいなかったのです。
 翻訳家になりたいのなら翻訳学校に通うべきだということに、遅まきながらここでようやく気づきます。当時は地方在住だったので、通信教育でいくつも講座をとりました。
 日本語書籍の英訳オーディションで優勝し、帰国後1年以内に出版翻訳の道はひらけました。 3冊目の訳書で和訳の仕事もいただき、一見、出だしは好調です。
 しかしそれからが長い修行の道のり。和訳で壁を感じ、月2回上京して翻訳学校に通いました。
 さらに、私は出版翻訳だと生計が立てられないかもしれないと思い、実務翻訳にも挑戦することに。翻訳会社のトライアル(登録翻訳者になるための試験)を何社も受けました。
 帰国後2年目で、どうにか数社から仕事をいただけるようになりました。ただ、医薬や特許、金融などの専門分野がなかったため、最初の頃はビジネス全般やアイルランド関係のニッチな案件ばかりで、便利屋あつかいでした。
 これでは仕事量が安定しないので、法務翻訳のコースを受講したり、IT企業に社内翻訳者として勤めたりと、専門知識を身につけるために経験を積みました。この会社では翻訳業務にとどまらず、マーケティング業務全般を任されたので、貴重な経験が得られました。
 10年目を超えた頃、気がつくとご依頼いただく仕事はマーケティング翻訳ばかりになっていました。
マーケティング翻訳では、ほかの分野よりもたしかな英語力と文章力が求められます。その点、駆け出しの頃は弱点だと思っていた英文学専攻というバックグラウンドが一番生かされるのはマーケティング翻訳でした。
 会社について知ってもらいたい、製品やサービスについて知ってもらいたい、買ってもらいたい。文書によって目的は違います。
 しかし、その目的のために効果的な文章というのはただひとつ、「人の心をつかむ文章」です。
 言葉を訳すのではなく、心を伝えるからこそ、相手に届く。それがマーケティング翻訳です。言語や文化や自我の薄い膜に小さな穴を開けて、相手の心にダイレクトに届ける。
 そういうマーケティング翻訳に、大きなやりがいを見出しました。
これこそ、子どもの頃感じていた翻訳の力です。それで、マーケティング翻訳に特化した翻訳事務所を立ち上げました。
こうして紆余曲折がありながら今年で17年目になります。
誰かの心に小さな穴を開けて、誰かの言葉を届けられるように。誰かの心を伝えられるように。そう願いながら今日も翻訳に取り組んでいます。