翻訳はニュアンス命

       

決め台詞を訳すのは至難の業

 最近、『サルベーション』という海外ドラマにはまりました。半年後に隕石が地球に衝突することを知った若い無名の科学者とセレブ科学者が、人類を破滅の危機から救おうと奔走し……というSF作品です。登場人物がそれぞれ深くほりさげられていて、どの人もなかなか魅力的。2シーズン制作されたのですが、一気見してしまいました。

 

It’s not about why. It’s about why not.

 3話目に出てくる、主人公のひとりが創立した会社の紹介ビデオで、“Innovation is not about why. It’s about why not.”というくだりがあります。後半部分は9話の大事な場面でも使われる決め台詞です。字幕では「革新とは“なぜか”ではない/“なぜそうでないのか”だ」と訳されていました。

 

こう訳すのにはふか~~~~いわけが

 この表現をどう訳せるか、を今回は取り上げます。が、決して「この字幕はうまくない」だとか「間違っている」だとか言いたいのではありません! 字幕は1秒何文字という制限の中で、基本的に情報をけずる方向で編集するものなのだと思います。さらに、映像や音楽が何を表現しているのかということも考えて訳します。私のような素人に字幕の良し悪しについてどうこう言えるものではありません。ですので、ここでは字幕としてではなく、あくまで普通の英文として、Why Notという表現について考察したいと思います。

 

WhyとWhy Notをどう訳す?

Whyってどういう意味?

 まず、前半部分はどう訳せるでしょうか? “Innovation is not about why.” Whyと言われてすぐ思いつく意味は「なぜ」です。「革新で大事なのは“なぜ”じゃない」ということでしょうか? 大事なのは理由じゃない、ということ?

 

“なぜ”と言われても……

 ちょっとピンとこないので、どういう意味か掘り下げて考えてみましょう。

革新を起こすために大事なのは“なぜ”じゃない

→“なぜそうするのか”、“なぜそうするべきなのか”

ここまで言葉を補ってあげると意味がはっきりします。もちろん、この時点ではほかの意味もありえます。それでは、ここから後半部にどうつながるのでしょうか?

 

Notは否定?

 Notを否定の意味にとると、後半部分は“なぜそうじゃないか”になります。革新を起こすためには、正しいこと(するべきこと)ではなく、間違っていること(するべきではないこと)に注目しないといけない、と言っているのでしょうか? それもありえるのかもしれませんが、もっと明快な解釈があります。

 

Why Notはポジティブな言葉

 Notはたしかに否定形ではありますが、ここで言葉を補うとすると、たとえば“Why not do it”などになります。つまり、「やってみようか」、強く言えば「やらない理由がない」というポジティブな表現なのです。「やるべきかどうか考えていないで、やってみれば革新が起こる」と言っているわけです。「革新は“やってみよう”の精神」ということですね。

 

対比は対比でも、どちらが大事かをみきわめる

 この台詞は、WhyとWhy Notという対照的な表現でつくった格言的な決め台詞です。この二つの部分は対比されているとはいえ、重みは同じではありません。WhyはWhy Notを言うための導入部分です。これはキャッチコピーでよく使われるテクニックですね。着地点(言いたいこと)をおさえると、レトリックがはっきりと見えてきます。