知らなければ訳せない

       

訳すために大事なこと

文章を訳そうと思ったら、当然のことながら、まず相手が何を言っているのか把握することから始めます。その際、大事なことは何でしょうか。文法や語彙など、言語の知識が思い浮かぶかもしれません。それはもちろん大事なのですが、実は言語ではなく、それ以外の知識が占めるウェイトが非常に大きいと思います。

 

通訳学校に通っていたころの話

授業中、先生に当てられると瞬間的に臨戦態勢になります。指先が冷え、心拍数が一気に上がり、頭の回転が速くなります(もしくは、頭が真っ白になることも)。要は極度にあがってしまうのです。とても常人には思いも寄らない超人的な能力をお持ちの先生ばかりだったので、心から尊敬する先生方に少しでも良いところを見せたい、認められたいという心理が働いたのかもしれません。

 

それ知ってる! 分かる!

とにかく、毎回アドレナリン噴出の緊張ぶりだったのですが、あるとき、原子力発電所が教材に取り上げられたことがありました。いつものジェットコースターに飛び乗った状態ではなく、ここぞとばかりにスラスラと訳すことができました(当社比。あくまで個人の感想です)。東日本大震災の直後に原子力発電所の事故が起こってから、外国人の友人たちに向けて事故に関する情報を英訳していたため、このテーマについては詳しかったのです。

 

知らないことだと、何を言っているのか分からない

この経験で学んだのが、訳の質には知識が大きく関わってくるということです。どんなに語学力が高い人でも、知識がなければ正しく訳すことはできません。考えてみれば当たり前のことで、相手の言っていることが理解できないのです。見ているものが同じでなければ、それをほかの人に伝えることはできません。たとえば、ロケット工学の専門家が書いた文章は、私には到底訳せません。その分野では常識となっている深い専門知識を持っていないため、書き手には見えている光景が私には見えないからです。

 

知らないときは……

そこで、知識を補うために重要なのがリサーチです。事前にリサーチを行わずに充分な知識がない状態で原文に触れると予断が生じます。これが厄介なもので、いったん理解した文章については、その「理解」が実は「思い込み」であることになかなか気づけません。誤った知識による誤った解釈を防ぐために、原文を読む前にその分野のリサーチを行うことが大事です。

 

とはいえ、相当リサーチをしたところで、専門家向けの文章であれば付け焼刃だと訳すのは無謀です。高度に専門的な文章の場合は、その分野を専門としている翻訳者に頼まれたほうがよいかと思います。